臨海スポーツセンター支援の会

>> 1  2前  >> 2後 >> 3 >> 4

りんスポ人物伝 第二回 石谷 治監督(臨海スピードスケートクラブ)(前編)

第二回は満を持してこの方の登場!臨海スピードスケートクラブ、石谷 治監督です。
大阪はインドア競技のショートトラックが盛んです。臨海スピードスケートクラブはその超名門クラブなのです。1998年長野オリンピック500m金メダリスト西谷岳文選手をはじめ、約10年で4名ものオリンピック選手を輩出しています。
なかなか練習や試合を見る機会のないスピードスケートショートトラックってどんな競技なのでしょうか?そして平日はスーパーサラリーマン、土日は監督として奮闘しておられる石谷監督っていったいどんな方なのでしょうか?

石谷 治(いしたに おさむ)監督
1959(昭和34)年9月8日生まれ
大阪府出身
平日はサラリーマンで、土日祝は臨海スピードスケートクラブ4代目監督!


このインタビューは2010年に行われたものです。


――日頃のリンク存続活動や、6月17日の「りんスポチャリティフェスティバル」ではOBの桜井雄馬・美馬兄妹にゲストで来ていていただくなど、支援の会が大変お世話になっています。
いえいえ(←早口が特徴)。

――昨シーズンはOGの桜井美馬選手のオリンピック出場という快挙がありましたね。中学生まで直接指導なさっておられましたが、どんな生徒さんでしたか?(美馬選手は競技のため高校から東京に進学)
桜井家の方針で雄馬も美馬も、小さい頃はピアノや水泳や書道などいろんな習い事をしていて、スピードスケートもリンクと家が近いのでそのひとつという感じでした。
美馬はとにかく楽しそうに滑っていましたね。最初は上に行きたいという欲もなかったように思います。でもスケートを滑らせるのが今まで見た中でも抜群に上手い選手でした。

――スケート界では有名な桜井兄妹ですが、下に冬馬さんという弟さんがいらっしゃいますよね。彼は今選手ではありませんが、昔はスケートされていたんでしょうか?
いや冬馬は同じようにいろんな習い事をして他の道を選びました。小さい頃はタレントとして活躍していた時期があるのですよ。でもなぜかスケートしてない冬馬が今も私に連絡くれるのです(爆)。

――桜井兄妹のブログを拝見しても、桜井家は家族みんなが仲良く明るく、のびのびよく食べて(笑)育ったのだなあって感じがします。そんな美馬選手が今や世界を相手に戦っておられますが、どんな変化があったんでしょう。
中学1年生の後半くらいから強くなり始め、本人にも競技への欲が出てきたように思います。
ショートトラックは一つの大会で何種目も滑るのですが、美馬はその年の全日本ジュニア選手権の期間中に転倒してしまい、ケガをしてしまいました。翌日足も腫れ上がり、ドクターストップがかかるほどだったのですが、本人は「絶対滑る」と強行出場しました。その結果、中1で一番低学年の美馬が3000mスーパーファイナル決勝(※)の8人に残ることができたのです。周囲は高校生とかですよ。それが彼女にとって自信になったし、転機だったように思います。

※スーパーファイナルとは、その種目以外の種目の総合成績が上位の選手のみ進める決勝です。

――雄馬選手については?
ずっと絶対的な存在の上村大輔選手(大阪経済大学)の背中を追いかけていましたが、中2の時に神戸の試合で初めて大輔に勝ったのを見て強くなったなあと思いましたね。
中3で受験のために休んだのですが、休んだことによって自分がスケートをどんなに好きだったかということを再認識し、スケートのビデオを熱心に見るなど心の中でスケートの占有率が高まったようです。高1の時はモチベーションがすごく高くて、みんなが休んでいる春先からがんがん練習をはじめ、それからもっと強くなりました。
そうそう、浜寺公園(臨海スポーツセンターのすぐ北にある公園)で、中学生だった雄馬と美馬が陸トレしている時、びっくりしたことがあるんですが、この兄妹、「オリンピックは1回でいいよね」な~んて会話をしていたのです。オリンピックに出るのがまるで当たり前のように!
まあ今はもちろん1回でいいなんて思ってないでしょうけど(笑)。

――やっぱり桜井兄妹はいろんな意味でただ者ではなかったのですね!そして美馬選手は見事2010年バンクーバーオリンピック代表に選ばれ、しかも20歳初出場で日本チームのエースとして大会に臨んだわけですが、全競技が終わった後、いつも明るい彼女が涙を流しておられ、見ているほうも胸がつまりました。
試合前から表情もかたかったし、調子が悪く、実力を十分に発揮できなかったのではないかと思います。故障も抱え、自信を持って臨めなかった。見ていてつらかった・・・。

――でも、美馬選手も惜しくもオリンピックの切符を逃した雄馬選手もそれぞれ新たな目標に向かってがんばっておられますね。
2人とも志が高いので、全然心配していません。このままソチオリンピックに向かってがんばってほしいです。  そして人としても力量をつけて、立派な大人になってほしい。

――私どもも応援して参ります!応援といえば以前はこちらのほうがしていただきました。2008年に臨海スポーツセンターが廃止の危機にあった時、OGの美馬さんらの呼びかけで、全国のショートトラックのコーチや選手の皆さんに署名などで大きな力になっていただきました。
臨海スポーツセンターは通年営業ですが、関西で夏場も練習できる場所は少ないですから、われわれとしてもいつも感謝して滑っています。できれば引き続きずっと営業してほしいです。
たとえば昨日の練習では、兵庫・京都・岡山の選手が参加していました。ショートトラックはフィギュアと違って、練習するのに多くの仲間の力が必要な競技です。そういう仲間とめぐりあえるのも、こういったリンクがあるからこそ。そういう思いをみんなわかってくれているからこそ、協力してくれたのだと思います。

――ステキなお話をありがとうございます。あの時、美馬選手からも署名とともに「私にできることがあればなんでも言ってください」と携帯の番号まで書かれたご丁寧なお手紙を会のほういただきまして、思い出してうるっとしてしまいました。改めまして、雄馬さん、美馬選手をはじめ、日本のショートトラック関係者の皆様にお礼を申しあげたいと思います。

――あまりにも盛り上がったインタビュー!!!1ページにはおさまりきらず、後編に続きます。

>> 石谷 治監督(後編)へ


>> 1  2前  >> 2後 >> 3 >> 4

Menu

大阪府立臨海スポーツセンター

〒592-0006
高石市高師浜丁6-1
公式サイト

臨海スポーツセンター支援の会

会長 高林 永統
お問い合わせ
rinkaisupport@rinkai.rocket3.net
@を小文字にしたメールアドレスに
メールをお送りください